その日、海はやけにキラキラしていた。
「よし、今日こそ絶対に釣る!」
浜辺に立ってそう叫んだのは、町一番の元気娘・夏海(なつみ)。身長は小さめ、声はやたら大きい。近所では「歩く拡声器」と呼ばれている。
「いや、毎回言ってるよねそれ」
隣でクーラーボックスを持たされているのは幼なじみの悠斗。完全に巻き込まれ体質である。
「今日は違うの!今日は“伝説のサバ”が来る日だから!」
「なにそれ初耳なんだけど」
「さっき決めた!」
胸を張る夏海。堂々とした即興である。
夏海の趣味は釣りだが、腕前はというと……正直、壊滅的だった。
釣れるのは大体、海藻か長靴。
しかもなぜか右足ばかり。
「この前なんて三連続右足だったからね」
「運がいい証拠だよ!」
「どこの世界の運だよ」
そんなやり取りをしながら、夏海は勢いよく釣り竿を振り上げた。
「いっけぇぇぇぇ!!」
ビュンッ!
——次の瞬間。
「……あれ?」
釣り糸が、後ろの看板に見事に引っかかっていた。
「なにやってんの!?」
「海が遠かった!」
「いや距離の問題じゃない!」
悠斗が慌てて糸を外す。看板には「危険・釣り禁止区域」と書かれていた。
「……あ、ここダメな場所じゃん」
「今気づいたの!?」
二人は気まずそうに少し移動した。
改めて、再チャレンジ。
今度はちゃんと海に向かってキャスト。
ポチャン、と気持ちのいい音がする。
「よし……来る……来るよ……!」
なぜか祈り始める夏海。
数秒後。
ピクッ。
「きたぁぁぁぁぁ!!!!!」
いきなり大声で叫び、竿を思いっきり引き上げる。
ビチビチッ!
「おお!?ついに魚!?」
悠斗が身を乗り出す。
そして釣り上げられたのは——
「……イカ?」
しかも、やたらと小さい。
手のひらサイズで、なぜか怒っているように見える。
「やった!初の“海の生き物”!!」
「いや今まで何釣ってたの!?」
夏海はイカを見つめて満面の笑みを浮かべた。
「この子、絶対私のこと好きだよ」
「どういう発想?」
そのとき。
ビュッ!!
「うわぁぁぁぁ!?」
イカが墨を吐いた。
しかも見事に夏海の顔面に直撃。
「目がぁぁぁ!!海より黒いぃぃ!!」
「それ元からじゃない!?」
悠斗は笑いをこらえきれず、しゃがみこんだ。
夏海は顔を真っ黒にしながら叫ぶ。
「このイカ、絶対性格悪い!!」
「たぶん普通の防御だよ!」
結局、そのイカは逃がすことにした。
夏海は海で顔を洗いながらぶつぶつ言っている。
「覚えてろよイカ……次は倍返しだ……」
「何をどう倍にするつもりだよ」
その後も釣りは続いた。
が、釣れるのはやはりいつものメンバー。
海藻、謎のロープ、そして——
「また右足ぃぃぃ!!」
四度目の長靴である。
「もうコレクションじゃん」
「あと一個でコンプリートだね!」
「何を!?」
夕日が少しずつ海をオレンジ色に染めていく。
風も穏やかになり、波の音が静かに響いていた。
「……でもさ」
ふと、夏海が言う。
「釣れなくても、海って楽しいよね」
「急にいいこと言うじゃん」
「でしょ?だってさ、なんか全部どうでもよくなるっていうか」
夏海は砂浜に座り込み、海を見つめた。
「広いし、キラキラしてるし、イカは黒いし」
「最後だけおかしいな」
二人はしばらく黙って海を眺めた。
そして——
グイッ!!
「きたぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
突然、竿が大きくしなる。
「え!?今度こそ本物!?」
悠斗も慌てて立ち上がる。
夏海は全力でリールを巻く。
「重い……これはデカい……!」
バシャッ!!
水面から現れたのは——
「……バケツ?」
なぜかピカピカの新品のバケツだった。
「なんで海に新品があるの!?」
「逆に奇跡だよこれ!」
夏海はしばらく固まったあと、突然ニヤリと笑った。
「……よし、決めた」
「なにを?」
「今日は“釣果あり”ってことで!」
「基準ゆるすぎない!?」
夏海はバケツを高く掲げた。
「海、最高ー!!!」
その声は夕焼けの中に響き渡り、遠くでカモメが驚いて飛び立った。
こうして今日も、元気すぎる少女の一日は終わる。
魚は釣れなかったけれど、
笑いは、たくさん釣れたらしい。
そして砂浜には、なぜか右足の長靴が四つ並んでいた。
——たぶん、まだ増える。
海笑顔
物語
コメント