放課後、運命をめくる少女
私立・星乃丘女子高等学校。
淡いクリーム色の校舎に、白い窓枠。春になると正門から続く坂道を桜が埋め、夏には中庭の噴水が陽射しをきらきらと跳ね返す。
制服は紺色のブレザーに、えんじ色のリボン。
そんな少しおしゃれな女子校に、一人だけ、ちょっと変わった趣味を持つ女の子がいた。
高校二年生の 月島すみれ。
肩まで伸びた柔らかな黒髪に、少しだけ垂れた大きな瞳。友達からはよく「おっとりしてる」「小動物っぽい」と言われていた。
目立つタイプではない。
成績は普通。
運動も普通。
クラスの中心にいるわけでもなければ、一人でいるわけでもない。
そんなすみれが、誰にもあまり言っていない趣味。
それが――タロット占いだった。
きっかけは、中学生のころ。
近所の雑貨屋で偶然見つけた、小さなタロットカードだった。
深い藍色の箱に、金色の月。
なぜか、それを見た瞬間に目を離せなくなった。
お小遣いを握りしめて買ったその日から、すみれは毎晩、一枚ずつカードを覚えた。
「愚者」
「魔術師」
「女教皇」
「運命の輪」
「星」
「月」
「太陽」
怖そうに見える「死神」も、必ずしも悪いカードではない。
終わりは、新しい始まりでもある。
「塔」は突然の崩壊。
でも、嘘の上に積み上げたものが壊れることで、本当の自分に戻れることもある。
カードの意味を知るほど、すみれはタロットが好きになっていった。
未来を当てる魔法というより、
自分でも気づいていない気持ちを映す鏡。
すみれは、そんなふうに考えていた。
だから高校に入っても、学校へタロットカードを持っていくことはなかった。
占いなんて言ったら、変な子だと思われるかもしれない。
そう思っていたからだ。
ところが、ある日の放課後。
すみれの人生は、一枚のカードから大きく変わり始める。
「すみれぇ……もう無理ぃ……」
教室で机に突っ伏していたのは、親友の 小春だった。
明るくて、話好き。
クラスではいつも笑っている小春が、その日だけは完全に元気を失っていた。
「どうしたの?」
「先輩にメッセージ送ったのに、既読ついたまま返事こない……」
「昨日の?」
「そう……絶対嫌われた」
「まだ一日じゃない?」
「恋する女子にとって一日は三年くらい長いの!」
「そんなに?」
「そんなに!」
小春は勢いよく起き上がると、すみれの両肩をつかんだ。
「ねえ、すみれ。前に占いできるって言ってたよね?」
「え」
すみれの動きが止まった。
かなり前、何気ない会話の中で、つい話してしまったことがある。
「タロットなら、ちょっとだけ……」
「占って!」
「ここで?」
「お願い!」
すみれは周囲を見回した。
教室には、部活へ向かう生徒が数人残っている。
「でもカード、今日は……」
「持ってるでしょ?」
「……どうして分かったの?」
「すみれ、最近カバン重そうだから」
「そこ?」
実はその日、新しく買ったタロットクロスを小春に見せようと思って、カードも一緒に持ってきていた。
すみれは観念した。
「じゃあ……簡単なのでいい?」
「お願いします、先生」
「先生じゃないよ」
窓際の机を二つくっつける。
紫色の小さな布を広げ、その上にカードを並べた。
夕陽が教室に差し込み、カードの金色の縁を淡く輝かせる。
「質問は?」
「先輩と付き合えますか!」
「もう少し具体的な方がいいかな」
「じゃあ……先輩が今、私のことをどう思ってるか」
「うん」
すみれはカードを切った。
シャッ、シャッ、と紙が擦れる音。
小春が真剣な顔になる。
すみれは三枚、カードを引いた。
一枚目。
「隠者」
二枚目。
「カップの二」
三枚目。
「節制」
「え、何? いいの? 悪いの?」
小春が身を乗り出す。
すみれは少し考えてから言った。
「たぶん……先輩、今ちょっと一人で考えたい時期なんじゃないかな」
「嫌われた?」
「そうじゃないと思う」
すみれは二枚目のカードを指した。
「このカードは、人と人の気持ちが通じ合うことを表すことが多いの。少なくとも、小春のことを悪く思ってる感じはしない」
「ほんと!?」
「でも、最後が節制だから……急がない方がいいと思う。今すぐ答えを求めるより、自然に話せる関係を続けた方がよさそう」
小春はしばらくカードを見つめていた。
「……なんか、すごい」
「え?」
「私、先輩が最近受験のことで悩んでるって聞いてた」
「そうなの?」
「うん。でも返信こないことで頭いっぱいになって、忘れてた」
小春はスマートフォンをしまった。
「今日は追いメッセージやめる」
「その方がいいかも」
「ありがとう、すみれ先生!」
「だから先生じゃないってば」
その翌日。
事件は起きた。
昼休み、すみれが教室に入ると、
なぜか自分の席の周りに女子が集まっていた。
「すみれちゃん!」
「え?」
「占いできるって本当?」
「小春から聞いた!」
「私もお願い!」
「え、待って……」
すみれは小春を見る。
小春が小さく手を合わせる。
「ごめん」
「話したの?」
「親友二人だけに」
周囲を見る。
七人いる。
「増えてるよ?」
「女子校の情報網を甘く見てはいけない」
その日から、すみれの昼休みは占いの時間になった。
最初は恋愛相談ばかりだった。
「好きな人に告白していい?」
「元彼と復縁できる?」
「後輩の子、私のことどう思ってる?」
しかし、次第に相談内容は変わっていった。
「文系と理系、どっちに進むべき?」
「部活を辞めようか迷ってる」
「友達と最近うまくいかない」
「将来、やりたいことが分からない」
すみれは、一つだけ決めていたことがあった。
カードの結果だけで、人の人生を決めない。
「絶対こうなる」
とは言わない。
代わりに、
「今のままだと、こういう可能性があるかも」
「このカードを見ると、本当はこう思ってるんじゃない?」
そうやって一緒に考える。
ある日、三年生の先輩がやってきた。
進路に悩んでいるらしい。
「親は大学に行ってほしいって言ってる。でも私は専門学校でデザインを勉強したいの」
すみれが引いたカードは「皇帝」の逆位置と、「星」だった。
「これって?」
「先輩、周りの期待を気にしすぎてるのかもしれません」
「……うん」
「でも、最後が星だから」
すみれは微笑んだ。
「自分が本当に憧れてるもの、ちゃんと大切にした方がいいと思います」
先輩は黙った。
そして、小さく笑った。
「不思議だね」
「何がですか?」
「占いなのに、未来じゃなくて今の自分を見せられてるみたい」
その言葉を聞いた瞬間、
すみれは胸の奥が少し熱くなった。
自分が好きだったタロット。
それが誰かの役に立っている。
それが、ただ嬉しかった。
噂はさらに広がった。
いつの間にか、
「星乃丘のタロット少女」
という呼び名までついていた。
放課後になると、図書室の隅に相談者が並ぶ。
「今日、すみれちゃんいる?」
「予約した?」
「予約?」
「最近予約しないと無理だよ」
小春が勝手に予約表まで作っていた。
「ちょっと、小春!」
「だって毎日十人以上来るんだもん」
「そんなに占えないよ」
「じゃあ一日三人限定にしよう」
完全にマネージャーである。
さらに、小春は学校行事の文化祭で、とんでもないことを言い出した。
「占いの館やろう」
「無理」
「即答!?」
「恥ずかしいよ」
「今さら?」
「今までは知ってる人だけだったもん」
「もう学校の半分くらい知ってるよ」
「そんなに!?」
文化祭当日。
教室の一角に、小さな占いスペースが作られた。
濃紺の布。
星型のライト。
アンティーク風のランタン。
机の中央には、すみれのタロットカード。
小春のこだわりで、
「神秘的だけど怖くない」
をテーマに飾り付けられていた。
そして、すみれ本人には、
「これ着て」
と、白いレースのブラウスと紺色のロングスカートを渡された。
制服ではない。
「占い師衣装」
らしい。
「恥ずかしい……」
「かわいいから大丈夫」
「その理論分かんない」
ところが開場すると、
予想以上の人が来た。
生徒だけではない。
保護者。
他校の女子生徒。
先生。
すみれの前には、途切れることなく人が座った。
その中に、一人の中学生がいた。
文化祭を見学に来た受験生だった。
その子は椅子に座ったものの、なかなか話さない。
「何を占いますか?」
すみれが優しく尋ねると、
少女は小さな声で言った。
「……私、友達ができないんです」
恋愛でも、進路でもなかった。
「中学校でもずっと一人で。高校に入ったって、どうせ同じかなって」
すみれはカードを混ぜた。
ゆっくり。
静かに。
出たカードは、
「愚者」
そして、
「太陽」。
すみれは思わず笑った。
「すごく明るいカードだよ」
「そうなんですか?」
「うん」
すみれは愚者のカードを見せた。
「これは、新しい旅の始まり」
そして太陽。
「こっちは、喜びとか、明るい人間関係を表すことがあるの」
少女の瞳が少しだけ大きくなる。
「じゃあ、高校では友達できますか?」
すみれは少し考えた。
そして首を横に振った。
「それは、カードだけじゃ分からない」
少女の表情が曇る。
けれど、すみれは続けた。
「でもね」
カードを二枚並べる。
「今までと同じ未来しかない、って思わなくていいんじゃないかな」
「……」
「愚者ってね、何も持ってないように見えるけど、だからこそどこへでも行けるカードなの」
少女はカードを見つめた。
「新しい場所では、新しい自分になっていいんだよ」
しばらくして、
少女が笑った。
ほんの少しだけ。
「私、この高校受けようかな」
「え?」
「なんか……楽しそうだから」
翌年。
入学式の日。
校門前ですみれは突然、声をかけられた。
「すみれ先輩!」
振り返ると、見覚えのある少女が立っていた。
新しい制服。
えんじ色のリボン。
そして、その横には二人の新入生。
「覚えてますか? 文化祭で占ってもらった……」
「あ!」
「受かりました!」
彼女は笑った。
「それと、もう友達できました」
その瞬間、
すみれは占いを始めてから一番嬉しかった。
未来を当てたからではない。
カードをきっかけに、その子が一歩踏み出したから。
やがて、すみれの占いは学校の外でも知られるようになっていった。
文化祭に来ていた誰かがSNSに投稿したのだ。
《女子高にすごくかわいいタロット占い師がいた》
その投稿が少しずつ広がった。
ただし、写真にはカードと手元だけ。
すみれの顔は映っていなかった。
それが逆に、
「謎の女子高生占い師」
として話題になった。
さらに小春が言った。
「すみれ、SNSやろう」
「無理」
「また即答!?」
「顔出しとか絶対無理」
「顔出さなくていいよ」
相談を募集して、
一日一枚だけカードを引く。
そんな小さなアカウントを始めた。
名前は、
『放課後タロット』
最初の投稿。
《今日の一枚――星》
《まだ結果が見えなくても、希望を捨てないでください。遠くに見える光は、進んでいる人にしか見えないものかもしれません》
フォロワーは十二人。
ほとんど学校の友達。
ところが一か月後。
千人。
三か月後。
一万人。
半年後には、十万人を超えた。
それでも、すみれは変わらなかった。
学校では普通の女子高生。
昼休みには友達とお菓子を食べ、
テスト前には「終わった……」と机に突っ伏し、
体育では長距離走から逃げたがる。
ただ、放課後になると、
小さな机の向こう側で誰かの話を聞く。
ある日、小春が尋ねた。
「ねえ、すみれ」
「ん?」
「有名になったね」
「実感ないけど」
「十万人だよ?」
「でも数字だし」
「じゃあ、将来は占い師?」
その質問に、
すみれは少し迷った。
「分からない」
「カードで占えば?」
「自分の将来?」
「うん」
すみれは笑った。
そしてカードを一枚引いた。
めくる。
そこに描かれていたのは――
「運命の輪」。
小春が叫ぶ。
「なんかすごそう!」
「すごいね」
「どういう意味?」
すみれはカードを見つめた。
巡り合わせ。
転機。
流れが変わる瞬間。
けれど、すみれはカードを伏せた。
「これは、占わなくていいかな」
「え?」
「自分で決めたいから」
夕暮れの教室。
窓の外では、部活動を終えた生徒たちの声が響いている。
すみれはタロットカードを箱へ戻した。
未来は、まだ分からない。
有名な占い師になるかもしれない。
全く別の仕事をするかもしれない。
それでも一つだけ分かったことがある。
未来とは、
最初からカードの中に書かれている答えではない。
迷いながら。
悩みながら。
誰かと出会いながら。
一枚ずつめくっていくものなのだ。
校門を出たところで、
一人の一年生が走ってきた。
「あの、すみれ先輩!」
「どうしたの?」
少女は息を切らしながら言った。
「明日……占ってもらえますか?」
「もちろん」
「恋愛です!」
「やっぱり恋愛相談多いなあ」
小春が横から笑う。
「人気占い師ですから」
「その呼び方やめてよ」
三人の笑い声が、夕暮れの坂道に響いた。
すみれの鞄の中で、
藍色のタロットカードが静かに揺れる。
明日は、どんなカードが出るのだろう。
どんな人と出会うのだろう。
それはまだ、
誰にも分からない。
けれどきっと、
まだ見ぬ誰かの心に、
小さな光を灯す一枚が待っている。
そして今日も、
星乃丘女子高校には一つの噂が流れている。
悩みがあるなら、
放課後、図書室の窓際へ行ってみるといい。
そこには、
少しおっとりしていて、
笑うととてもかわいい、
不思議なタロット占い師がいる。
未来を決めつけることはしない。
怖いことを言って脅すこともしない。
ただ、
あなた自身がまだ気づいていない気持ちを、
カードと一緒に探してくれる。
そして最後には、きっとこう言ってくれる。
「大丈夫。未来はまだ、全部めくられてないから」


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